抑、当寺開起は天文戊申暦(天文十七年 西暦1548)青木土佐守道顕と云者攝州(摂津国・大阪府)尼崎を退き、勢州(伊勢国)市江嶋之内南之一色と云取(=今東条村)居住す、一子青木道宣と云う者有、時之領主織田三七郎(織田信長第三子信孝)にも付属せず、又元亀元年(西暦1570)之一戦(姉川の合戦)にも打向ず、道宣次男長次郎と出家剃髪し、法名演知天台宗を一寺取建宝積坊と号す、永禄六癸亥(西暦1563)建立す。
同國海辺郡海老江と云所に祖父江弾正正成(織田信長家臣)と云者有り、元亀元年の戦(姉川の合戦)に打死す、一子十郎拾三歳にて南之一色道宣は弾正従弟にて介抱す、後宝積坊弟子と成剃髪し法名演諦と云、天正十五丁午暦(西暦1587)師匠演知へ願意趣有、其故は末世と成、天台之法門難行なれば未来禅なり難く、願くば浄土真宗に帰し改宗せば後の人々迄も易行の御法を聞き成佛すべし此旨許し給へと言、演知聞て、言様尤成事なり、然ば我は一生天台宗にて事終る可と有、空明忝しと依て八月上旬に上京し本願寺教如上人え此一事を願に、上人仰下し候は願の趣殊勝なれとも、一寺にて両僧二宗兼学は免許成不由仰有、依て空明は十方に暮れ盲目之杖を失ひたるに似たり。
其頃徳川家康公御上京御滞留の処御宿坊に尋参り、幼年の時濃州(美濃国)岐阜にて厚き御意を蒙り候により、右上人へ願相叶ず難儀之段御嘆き申上るに、其趣分て聞召され教如上人え厚く御頼下さる可と有、八月十五日に空明を御召連本山へ御来入有て、上人え御対顔御座し右の願御取成下被、即座に願の通御免許成下され、其の時空明悦事限なく一首詠じ差上げる。
「久かたの雲もはれて有明の月もろともにみつるなりけり」と。
詠じければ、上人弥目出度御事成迚、久かたの雲もはれてといふ心により今よりは法名を空明と改め、満る成りけりといふに付て、宝積坊の寺号を改め成満寺と下し置被れ、重ねて家康公仰られ候は御本山に重ねて一乱の大事も有時は、演知・空明両僧と諸国の一類共御見方せば一方御安心成可と御取成下され、依て上人御筆を染させられ忝も御寿像を空明に下し給ひ、是を偏に東照宮様(徳川家康公)え御愍御重恩成と後代に伝えしとなり。
先祖空明より今代の歳霜を歴て凡そ今年迄天正十七年(西暦1589)より成、開山聖人之弘給ふ御法此地にて倍々御繁栄成被、近くば御代々之上人之御重恩別て教如上人之御厚恩浅不、並に先祖空明が発起心より今の代に成満寺仏法繁昌之霊地と成、三百余家の門徒帰伏するものなり。
四十九日法要から百箇日忌、一周忌、三回忌、七回忌…と先祖供養をいたしましょう。
葬儀や法事では、亡き人を偲び、感謝の気持ち、亡き人を偲びつつ、自らの命の尊さに目覚めるのが大切な法要です。
成満寺では、食事や食事のための台所も準備しております。
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寺院名 | 宗教法人 成満寺 |
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所在地 | 〒496-0914 愛知県愛西市東條町井桁55 |
電話番号 | 0567-31-0785 |
宗派 | 浄土真宗 東本願寺派 |